奈良へ

飛鳥へ
先日の奈良に続いて、今日は近鉄特急で橿原神宮駅へ。
飛鳥にやってきました。石舞台です。

修学旅行の生徒たち、大阪や関東等、各地からの観光バスが広い石舞台古墳駐車場に待機している。此処での主役は他国の人ではなく日本人、そしてその多くは小中学生。
60年以上も前の自分自身の姿を重ね合わせる。全く記憶は飛んでしまってるけど、小学校の時には必ず一度は来ている筈のこの地。懐かしさよりもあの頃の貧しかった我が境遇を思い出してしまう。スケッチをしながらそんな事を考えていた。
今回の訪問はいわば自分にとっては漢字を変えて終学旅行と言えない事もない。
今は情報があふれている時代、事前の調べで遺跡の歴史などは分かっている。とは言え、実際の空気に触れると言う事はやはり違う。神社仏閣に参拝するのとは違う。

 

1日目は奈良、興福寺と奈良へ

2日目は飛鳥へ


一つ不思議に思ったことがある。調べたらわかる事やけど、調べない、素朴な疑問はそのままでいい場合もあるから。それは文字。7世紀後半の遺跡である飛鳥には、石舞台、亀石、高松塚古墳壁画等、当時書かれた文字を見なかった。この世紀はと言えば6世紀後半からの百済との貿易や遣隋使によって文字は伝来、存在している筈であり、実際7世紀でも645年の大化の改新では17か条の憲法が文字になっていますよね。
前の日に訪れた奈良の興福寺東大寺では、至る所、漢字が氾濫していたのと大きな違い。1世紀の違いとはこんなに大きなものなのか、と思ってしまった。
もっとも、そのおかげで詳しいことが分からず現代人にとって大きなミステリーとして残り、はるか彼方にある古代ロマンの世界へと誘っている訳ですが。
今回、奈良時代飛鳥時代と言う二つの時代を巡っておもい知った事、日本の黎明期について沢山学びました。小中学生諸君には負けずに勉強してきましたよ。