80歳目前のよもやま話

 

あと三日で79歳とは、よくもまあここまで来たもんや!

さすがに生き方をズーっと一定と言うのは難しい。

6年間務めた老人ホームも、3月で終わったし、その前にやっぱり体力の衰え、特に足腰の特に膝のがくがく感は否めないし。

一万歩以上歩く生活は出来てもなあ、2万歩はさすがに今はしんどい

低山登りはやってる。どんどん低くなる。20年前は標高差1000メートル、今は200メートルになってしもうたしなあ、、、、歩いてても追い越される事が頻繁に発生。悔しいけど!

近所の飲み屋さん同年代のおばさんがやってる店、遂に今年一杯で店閉めると最近聞いた。行くところもどんどん減っていくし。

堺の墓参り行きたいなア。何年行ってない? コロナの所為にしてたけど難波や梅田の人垣の中を歩けるんやろか、inboundの波に水没するんちゃうか と思ったり。今年は行けたらと思うんやけどナア。

予算1万円かけて松山港とんぼ返りもエエけど、そうやで、この数年 ろくに瀬戸内海も見てない。 クルーズで台湾は行ったけどなぁ。

今から20年前、矢板にいてた頃、夕方仕事終わって、30分かけてshopping、そしてや近所のパブに寄って帰る、あんな毎日て考えられへん。 

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津山へ行ってきました

ボランテアガイドの研修で今年もツアーに参加した

行先は津山、去年は同じく岡山の播州赤穂でした。

岡山県の中国山地沿い、大河吉井川が盆地で大きく蛇行して出来た三角州にある人口10万人の津山市、初めて行った。なかなか良かった!

〇津山城跡、ここは岩山を削り出して作られた平山城と言うらしい。荒々しい戦への備えが目立つ無骨な城跡との印象を持ったけど。

駐車場から50mの高低差は殆どが石段で結構きつい。それも一段が40センチ近い不規則な巨石で出来ていて、輪をかけて両側にそそり立つ凹凸の激しい石垣が脅迫めいていて そんな印象を助長させた。

でもこれ丈では無いよと地元ボランテアガイドの会長が諫めていた。復元された備中櫓等、畳敷きの内装が多いとか。天守閣でも同様やったらしい。

ここはもうじき桜の季節、曲輪の周りにびっしりとある樹々の蕾が少し色付いていた。一面桜花で覆われるんやなあ、見たいけどなあ!!

“芸陽観光でも、4月初めにここでお花見ツアーをやりますのでよかったら是非ご参加ください” とは添乗員さん。

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〇バスで西に移動して昼食“和風ダイニング源”。メインの“そずり鍋” これは、こちらの郷土料理らしい。 生ビール2杯も呑んでしまった。ツアーの時間割りが少しずつずれてきている。

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吉井川に沿って城東景観保存地区へ。食後の散歩のような感じのそぞろ歩き、和蘭堂(おらんだ)で買い物し駐車場へ引き返し。 当初予定の作州城東屋敷にはどうも行った記憶が無い。なんか一方通行の関係で予定が変わったのかもな。土産少しとワンカップ地酒をかった。帰りバス中での事も考えなければいけない。

因みに旅の所要時間としては、西条から片道3時間の行程で殆どが高速道路、休憩は高速SAで2回一時間おきで丁度良かった。 どこに行くにも何十年前と比べて本当に道路やトイレ事情は良くなった。

〇最後は津山操車場跡へ。 津山城跡の真南、川を渡って直ぐのJR津山駅、その引き込み線終端が操車場になっている。

4時に閉館するので駆け足での見学となってしまった。 でも、中々見どころの有る施設跡、巨大な回転台はどのように回転させているのやら、 外周の内側からギアドライブかな?

(添付)

〇水彩画 津山城跡に上る出発点から 階段と城壁 そして多分見えるであろう備中櫓

 

〇MAP GOOGLE_map等を参照しながら記憶を辿った一日の行程図

〇桝形のイメージ画像 敵を誘い込む巨大迷路

 前回赤穂城跡にも在った桝形、でも今回は入ってみて一瞬恐怖を感じた。赤穂のは枡が広かったが、津山は狭かった。それに人気が我々二人以外なかった。それが原因かな??

 

おわり

今年もBellisima part 2

今年も参加したBELISSIMA クルーズ

那覇港、石垣島、台湾基隆、宮古島そして、那覇へ戻る4泊5日の旅。お客さんは那覇からの乗船と基隆からの乗船でほぼ半々、合計5000人位かな?

御老人が多数。我々もその一員、でも割と子供連れも多かったなあ。

昨年と較べ車椅子の方、及び杖を使用している人が随分と増えた気がした。嬉しいね

〇去年はバルコニー付の部屋にしたけど、今回はCOSTDOWNで窓無のCABINに。夜間は航海、昼間寄港地停泊なので全くバルコニーのメリットが無かったため。部屋のアメニティーはどちらも一緒やし。

  *ところがなぜかside_cabinの大きな丸窓の部屋が手配されていてLucky!何でかな

〇二日目は石垣島。天気が悪いので終日、船内の散策、でも少し寂しいので雨の止み間を待って船外に出てみた。市内に続く椰子の木の道路を歩いて船全体が見えるところまで歩いた。

 小さなスケッチブック、せっかく持ってきたんでリュックから取り出す。前回はこんな機会はなかったし。でもど真ん中の街路樹はやっぱり邪魔やあ!

 

〇台湾基隆でのバスツアーでは今年は歩行困難者用のメニューが追加されてた。基隆港を見下ろす正成公園、港近くの仏教と道教が混交したような真言宗のようなお寺。若い学生さん達が多数仏さんに祈りを捧げていたのが印象的だった。日本ではあまり見れない新鮮な、良い光景やった!

 展望台から見下ろすと真正面にBELISSIMAが見える。かように船が全体に見える機会は珍しい。がやはりど真ん中に邪魔な被写体があるんや。前述のスケッチでもそうや、今回は。

〇基隆港にはつい最近まで大阪~釜山に就航していたクルーズフェリーが接岸していた。間もなく石垣島~基隆港間のサービスに就くらしい。良いニュースなねえ。

〇クルーズターミナルで思う事

今回、南西諸島の三つのクルーズターミナルを見て思った、21世紀に入ってからの新たな形態の港、それは40年前の 客船ターミナルと全く違っていると言う現実。 共通ワードは埋立地

21世紀に入って世界的に、特にアメリカ、欧州水域において15万~20万総トン前後のメガクルーズ船と言う客室数2500前後を備えた動く巨大ホテルが出現した。以前はせいぜい1000室もあれば巨大客船と言われていた世界ですけど現在は客船のニーズが変わった。言い換えると貨物の取り扱いのない世界になった。

那覇、石垣、宮古の3港は専用桟橋になっている。港の外れの広大な敷地に100台位の大型バスの駐車場が必要なんやねえ。ケーソンと言う技術がふんだんに使用されている。海中に杭を打ち込んでその上にプラットホームを乗せた感じ。

特に宮古島は防波堤の突端にケーソンを打ち込んでバスが旋回できる用地を確保したみたい。勿論そこまでの防波堤も同様の技術で道路を作ったみたい。

基隆港のクルーズ岸壁は市街地に近く昔の貨物船用の設備を再利用した感じ。今はこれも広大な敷地が必要な コンテナターミナルに引っ越したからなあ。倉庫もあったしそれを利用したんや!近くに公園があった。バスの帰りそこから撮った画像、ほんま近くや。次回があれば歩いて行ってみようと思う、あればの話やけど?

おわり

 

 

 

 

西条酒蔵 雑学

西条酒蔵 雑学

 

延宝蔵と一口で言っても実はこれ、異なる3つの異なる時代の蔵が連結して出来ている。

西条駅を降りてロータリー交番横の酒蔵通りに少し入ると最初に見えてくるのが白牡丹酒造のこの蔵。

正面に立って蔵の説明をする時。まあ、こんな風に

 

「中央が江戸期1675年に建てられた延宝蔵の一部、左が明治時代に、又 右は昭和時代に建てられた蔵で、一体になっているので延宝蔵と言います」

 

さて、でも正面から全体を見たらどんなかな、と思いたち理解するために画をかいてみた。地形的に距離を取って全体を見る事が出来ないので。

実際の平面寸法を知るためにグーグルマップが役に立った、感謝です。

要は仮に西条駅まで何も建物が無かったらと言う前提で、駅からはこんな風に見えるんかなあ、と言う事です。

結果として思いのほか昭和蔵が大きかった。

各蔵の役目はご想像で。

 

尚、一番大きな明治蔵は上から見ると奥方向に更にL字形になっていて、1900年代初頭のお酒の生産が急拡大したころに出来た物と思われます。

 

 

=ご参考=

各建屋の間口

延宝蔵 約20m

明治蔵 約30 m

昭和倉 約20 m

 

 

米が主食から脱落しそう

お米は主食から脱落しそう

大昔、誰か国のえらいさんが “貧乏人は麦を食え” と言ったのをおぼえてる  又最近では、9月初めに商品棚から米が消えた時、農水大臣がもうじき入荷が始まる、又価格については諸物価が上がっているのでお米の値上げは止むをえない と言って備蓄米の放出を否定していた

消費者の目線と言うか、僕個人の目線と言うか、今とんでもないことが起きてるみたいに思う

昨年、ある商社のシンクタンクが パンと白米のコストを比較して “決してパンが高いわけではありません、”との調査結果をネットで公表していた。ウクライナ危機 + 円安の所為で小麦が高騰していた頃の話。あの頃から主要な食材の値上がりが顕著になったかな 今はどうか? 当時の倍になっているお米、ほんと驚き。こんなに急激に上がったのはこの貧しい記憶力のなかでも滅多ない。インフレ率100パーセント。パンは値が上がったと言うけど、米と比べたらしれてる。今大量にスーパーに出ている食パンは最安税抜き108円前後。 パンは去年から10円程度しか上がってない。対して米はどうか、となると言わずもがな、です。お米の生産者さんが供給を止めた、とは思えない。なら何がおかしい? 超値上げの為に、僕の恐怖心を煽って1か月の品切れ状態を作った、と思えなくもない。 とりあえず9月初めから週4日程食パンに切り替えた。小さな小さな抵抗運動。10月頃から供給はドカッと増えたが、それでも今もパン続行中 パンより安いと思われるお米が出るのを待っている。

目線を米農家さんに置き換えたら、友人の以前の話として 協会に出す玄米60キロ(1俵)価格が1.2万円~1.4万円、 対して生産者原価は 家族の手間賃を抜きにしても1.3万円~1.4万円、これではやっていけないのでやめたとか。そんな農家さんが増えてるらしい。

米不足に関して言えば、この件で9月初め前述の通り自治体の知事が備蓄米の放出を求めたけど、農水大臣のあの一言丈であとはしゅん、と終わってしまった。何か寂しい、というか悲しい。あの後、総理大臣の何かプラス一言でもあればよかったのに。無かった!! まあ、あの方々に取ってはこれは取るに足らない出来事なのかも知れないけれど。 先日の27日の総選挙では裏金問題よりももっとこっちを優先してほしかったなあ。

3日程前、近所の農協直営のスーパーに行ったら、玄米10キロが税込4500円で売られていた。

同じく近くの大手スーパーでは相変わらずこちらは税抜きで6200円~7000円位の超高値で売られていた。商品棚はいつの間にか満杯になってるのに。

今後どうなるのかなあ?どうなるんやろ?

ある島の現実 最終章

最終章、ある島の現実_瀬戸内海
82歳の友人Kさんはほぼ前触れもなくこの2024年3月、世を去った。半年たった今も思う事、あっけなかったなあ!
6年前2018年の秋、瀬戸内海のある島で、廃屋に近い古民家の敷地内で蔵の解体PROJECT が始まった。Kさんの飲み友達連合、全員呑み助の老人パワーが結集した。途中、悲喜交々、色々な経験を経て、遂に蔵の解体が終わり、そして壁土、瓦礫、樹木等の廃材の搬出がやっと終わったのがつい最近の事。
そんな中、今年2月半ばに悲劇が襲った。パートの仕事明けの日に突然倒れ救急車で搬送された。そして入院後1か月も経たずして帰らぬ人となった。
Kさんの強い意志として、我々友人にはその死は伝えられなかった。ご臨終の際の言葉は、決して誰にも迷惑を掛ける事が無いように、やったそう。あの方の性格が滲み出ている。
今は回想、色んな事があったなあ!

〇2018年8月、土塀と蔵と母屋に囲まれた敷地の中、雑草や大きな樹木が生い茂り足の踏み場も無かった。あんな当時の現況に関係した皆さん、ご苦労でした。皆老人ですが、はそれを見て身震いしたと思います。先ずは邪魔な樹木の伐採から始まりました。樹木は切っても根っこはあちこちに飛び出していて何と足場の悪いこと。
〇11月頃から、土塀、風呂場と四脚門の解体始まる。これは路地に出るルートを確保するため。路地を通って一輪車、トップカーなどで廃材等を50メートル程運搬する。離れた空き地まで運ぶ作業がしんどかったなあ。そう、この家にはトラックの出入りできる道がない。
大八車サイズの路地しかない。その幅1.2メートル程。島にはこのような事情の古民家が多く存在し、その多くが空き家になっているようです。
〇2019年春から蔵の解体作業の準備始まる。途中で、台風が来て巨大な貝塚の木が倒壊するなどの事件があり、あの時は隣家に倒れこんで松の木が破損して大騒ぎになったり。
蔵の解体用足場これ丈は業者さんにお願いした。小型ユンボはレンタルで借りて、その為に重機操縦の資格を取ったり。当時80近い老人がですよ。なかなか出来ん事です。
元々この蔵、納屋、正門を兼ねての中2階も有る大きなもの、瓦がずり落ちて路地に落ちる危険性を行政から指摘され解体を決意したとの事。巨大な柱、梁、そして厚み20㎝以上もある土壁、中に入っている竹の網代の除去には閉口した、大変な作業でした。竹は何百年たっても全く元のままなんですね。
解体は2019年に完了、そして後には巨大な母屋丈が取り残された。満身創痍の母屋が、、。
〇ここで友人は欲を出して、今思えばですが、母屋の再生までやってしまおうと思い立つ。材木などの資材の調達、部分的な垂木や瓦屋根の修復にも取り掛かったけれど、2階部分の痛みが思ったよりも重症であり、又一階の床下で心柱の基礎に大きな空洞が何カ所か発見されたこともあり、数年前に断念した。
屋内に残された材木、資材、工具等、今後どうなるのか、残念ながらこれ等は自分の知る範囲ではもはや無い。
〇2020年12月門扉完成。廃材を寄せ集めた、結果的に傾いていたへんてこな余り調和していない門扉。これを最後に前向きな作業はほぼ停滞してしまったよう。あとは母屋の割れたガラス窓をベニヤで覆うとか、廃材の搬出、雑草の除去作業とかがつい最近まで延々と続いていました。


〇BLOGは、“ある島の現実”と“その後”を足して2018年の11月から、2020年の12月まで都合8回公開。全て公開前にKさんの了解を取って来た。が、今回初めてそのプロセスを省くことになった。これが現実、ある島の現実、何とも複雑な思いで締めくくることになりました。

近くにもこんな温泉があった

遠くよりも近くの温泉!
近場の少し贅沢なホテルに泊まってきました
江田島にある温泉です。
車で我が家から1時間と少し、行程は約50キロと少し、まあラクチンです。
このホテルのポリシー、少し変わっていたのは、ビール等の自販機が無いのと、部屋にテレビが無い事、そして英語などの外国語表記が極端に少ない、と言う事。
今様に外人さんは結構居られたけどね。
フロントでは、言語の自動翻訳機が大活躍してました。

ホテルの際の海に面した重巡“利根記念館”があります。管理の方が施設内の手入れをしておられました。
戦争はしてはいけない、と教えてくれるこの小さな記念館。
広島湾一帯は戦争末期、艦船が悉くここに集結したこともあり、どこに行っても戦禍の跡が色々な形で残っています。燃料タンクが空っぽで動けなくなった軍艦程惨めなものはない。この“利根”は空襲で破壊され江田島湾に着底、何せ全長200メートルの巨艦なので、水深せいぜい数十メートルの海に変な表現ですが沈没は出来なかった。

スケッチは江田島湾、島はトトゥガ鼻
左に中谷造船所を入れています。トトゥガ島でなく、鼻とつくのは干潮時には陸続きになるからかなと?
この島も爆撃の直撃弾が当たったことにより二つに割れ今のようになったと記念館の資料に書かれてました。
又、呉、小用フェリー“フェリー古鷹”はこの中谷造船所にて建造されました。

遠くよりも、近くの温泉、暫くはこれでいってみようかな、と考えているお年寄りの今日この頃でした。