東広島市の西条を出て西に向かい、海田市で呉線に乗り換え東の三原まで左回り、ぐるり一周しました。呉線とは険しい山肌にへばりつくような単線の鉄道です。海側は瀬戸内海を望む海岸線が多く、座席を取るなら海側と言ったところでしょうか。
◎先ず、安芸津、福寿院の上から描いたスケッチです。
大崎上島へのフェリーが出ている港でもあります。
ここはカキの養殖で有名な町。今はシーズンが終わりましたが。絵の海に広がる沢山の線上のものは牡蠣筏です。
手前が単線の呉線で、駅のホームが見えています。中ほどが港で、大崎上島に向かうフェリーが停泊しています。
この安芸津は東広島市の南の端に位置し、古い造り酒屋が今でも操業しており、歴史的には西条の酒蔵よりも古いかもしれません。
◎ところで、この沿線には豪雨災害から8か月を過ぎた今でも、その山側には至る所に災害の爪痕が残っています。
呉線の自治体は、呉市を含め殆どが深刻な人口減少に直面していて、それに追い打ちをかけたのが今回の災害でした。
時間がたつにつれ災害の記憶は薄れていきますが、決して風化させてはいけない、と思いました。
3月のJRダイア改定で災害ダイヤから正常に戻ったとはいえ未だかなりの個所で減速運転をしているようです。
車両は国鉄時代のものからこの春よりは新型のものに変わっていました。ステンレスの味気ない車体ですが、まあ、快適さでは大幅に改善されているんでしょう。
◎3月22日、広島第3の都市、呉を通り越して最初に降りたのは、安芸川尻駅、ここは野呂山の登山口で、この日も春休みを利用しての登山客がかなり見られました。 大きなリュックを背負った若者たちのグループが線路を渡って山に向かって行きます。
写真の背景が、野呂山です。
さて自分が向かったのは神田造船所、既に先のブログで公開した進水式です。
この呉線には呉を始めとして大小さまざまな造船所が点在しており、今でも地域の経済を支えていると言ってもいいでしょう。
呉等の巨大造船所を除き、殆どが造船を生業とする地元の会社です。昔の瀬戸内海の水運業にルーツがあると思われます。
◎次に降りたのは風早駅。
全く何もない駅ですが、駅前にある景色の良いと言うレストランに行ってきました。店は駅から言うと2階の高さですが絶壁の上にあり、下の国道からは3階建ての高さになっています。
海岸線を走る国道から分岐して駅に上がって行く坂道に沿って、このレストランがあります。しかし一方、店じまいした旅館が散見され、侘しいの一語に尽きる佇まいです。
入ったレストランも元は旅館だったそうです。カウンターは海側で、大きな窓を通して、瀬戸内海が一望できます。夏場はドアを開けるとオープンガーデンになっていて結構いい雰囲気かなと感じました。尤も車を運転しての者には、そこでビールと言う訳にはいきませんが。
1390円の海鮮定食とビールを頂きました。
◎1時間後の電車に乗り、向かったのは安芸津です。
何故1時間後か、と言うと電車は1時間に1本しか無いからです。
先ほどの風早の隣の駅です。閑散としていて、御多分に漏れず過疎化が進んでいます。
実は文頭でスケッチをした福寿院と言うのは、間違って行ったお寺で、真の目的は桜で有名な正福寺でした。
線路の左際にその正福寺へ上がる急な階段が有り、山門をくぐると正福寺です。険しい山肌に築かれた名刹。
ここから、山への公園道路を辿って登っていきます。未だ桜の開花はありません。
山頂の展望台は絶景でした。
◎最後の目的地、竹原です。
駅はやはり閑散としています。
特に、駅前には立派な新しいアーケード街が有るのですが、殆ど人気がありません。新築のゴーストタウンといった佇まいです。シーズンが来れば賑わうであろうと信じて、街並み保存地区に向かいます。
竹原と言えば、ここも造り酒屋の町。以前、NHK朝ドラのまっさん、の舞台となった所です。
竹鶴酒造は今も奥の蔵でお酒を造っていると言う事です。
この区域は町並み保存地区として綺麗に整備されていて、かなりの観光客を目にしました。
駅からは、徒歩で15分くらいかかり、中途半端に遠い距離です。おまけに保存地区の路地は複雑で、1時間で駅に帰るつもりが、数分の遅れで電車を逃し、更に1時間待つ羽目になったのです。駅のコンビニで酒を買って時間を潰しました。かなり歩いたので足も疲れています。
◎竹原を後にして、三原経由で帰路に就きました。途中、安芸幸崎駅の辺りで、車窓からかなり大きな造船所が見えました。黄色い巨大なクレーンには今治造船 と書いてあります。昔は向陽造船だったた筈。合従連衡は世の常ですね。
最後に、沿線の観光客で外国からの旅行者で一番賑わっていたのは、幸崎駅の三原寄り、忠海駅でした。ウサギで有名な大久野島に渡るフェリーが出ています。SNS等の口コミで有名になった島です。
沿線の振興策で参考になる現象ではないでしょうか?