白市探訪 ボランティアガイド研修

東広島市白市 2月中半 
歩いて30分程の所に古い古い町並みが保存されている白市と言う町があります。広い無料の駐車場が南にあり、其処から逆三角形の形で上に広がっています。駐車場から北へ250メートル程の広がりがあり、でもそこは完全な迷路でした。

最後の旧木原邸では見学している間にメンバーから取り残され、そして駐車場への帰り方が分からなくなって。無残にも案内された方に聞く羽目になった次第で、とにかく迷路でした。自分丈の問題かもしれませんが。

そんな次第で帰宅後、今日巡った経路や場所を理論的に結び付けようとしても中々うまくいかない。
Google_map/street_viewや写真などにらめっこしながら鳥瞰図を自分で描いてみました。苦労の挙句やっと頭の中が整理できた、とまあ、そんな感じの脳トレを兼ねた有意義なボランテア研修会でした。
画にしてみると、右下の白山を焦点として上に広がっていく逆三角形の町となっています。又名所旧跡はどっちかと言うと北の方に集まっていると言うのが分かりますネ。

その鳥瞰図、うまく出来たと思ったものが、それでも後で伊原八郎邸と伊原惣十郎邸の位置が南北逆になっていたのを発見。描きなおす気力なしでした。
作図は主に当日訪れた場所のみとなっています。

その他の名所旧跡については東広島市観光情報サイトの白市探訪MAPも併せてご覧ください。添付してます。
尚そこでは左側の県道が未だ建設中となってますが、既に6,7年前?に完成しています。今は新しい立派な道が開通したことにより、町中を通過する車は殆どなくなり、歩いての探訪は随分と安全、そしてラクチンになりました。


以下、当日の参考画像です。南から順に北へ上がって行きます。

 

最後に白市についての感想です。
白山(MAP右下)に築城した平賀氏の分家である木原保満氏がキーパーソンかな。関が原で負けた西方に属していた平賀氏の後を受けて江戸時代から盟主となった木原一族さん。酒造、両替、塩田、等幅広く手がけて成功し財を成したらしい。町内に多くの石造物を寄進している。
南東の白山には、戦国時代平賀氏の山城が築かれていたらしい。
探索も旧木原家がキーになる。入館料150円ですが、邸内は博物館の様でもあり、又休憩場所、トイレ等も完備。案内の方がいるので情報も入りやすいし。
入場料ですけど、後期高齢者は無料と言うのもうれしいですね。

スタートとなる駐車場も思ったより広かった。欲を言えば、あそこに休憩用のベンチとトイレが有ったらなあと。

今回の白市考、この年になって今頃なにを、とも思いました。近くに住んで40年以上たって初めてとは。でも見るところいっぱいあった白市。

他にも近くでこんなとこあるかも知れないなあ?
ボランテアガイドの研修に感謝です。幹事の方、有難うございました。

さっぽろ丸その後

昔のフェリーさっぽろ丸その後です。
海外に売却された同船を追跡してみました。
1998年、ギリシャに売却され、IONIAN SKY 等となりました。
2014年までエーゲ海で活躍した船の外観の変化をさっぽろ丸と共に検証してみました。
側面図での比較をCAD上で作図しています。その画像を添付します。

ギリシャでは大改造の上、きれいなクルーズフェリーとして生まれ変わった感じがします。
日本の時代よりも垢抜けしているように見えませんか?

主な外観上の変化としては
1.    煙突の巨大化
2.    後部車両乗降ランプのサイドから船尾への変更
3.    ブリッジデッキ後方のハウスが殆ど廃止されている
4.    遊歩甲板がボートデッキとなり救命艇もしくはテンダーボートが新設されている
5.    その遊歩甲板後部にデッキハウスが延長、追加されている

6.    最後に総トン数が大きく増えている
    さっぽろ丸        11098 総トン
    IONIAN SKY    19539 総トン (1.8倍)

注)総トン数について
さほどデッキハウスが大きく新説されている訳ではないので、この差、1.8倍以上の差、と言うのは 国際総トン数と日本の総トン数の基準が異なるためと思われます。
一般のひとに大きな誤解を与える標記なので是非改善してほしい、と思うのは自分丈でしょうか?

両船を重ねた比較図は、青線が IONIAN SKY となっています。


参考に札幌丸のデータを下記しておきます。数値は丸めてあります。間違いがあるかも?

日本沿海フェリー 北海道~東京 航路
総トン数     11098 総トン
竣工        1974年 林兼(はやしかね)造船
全長/幅/型深/喫水164 / 24/ 9.2 / 6.2 単位メートル
速力        22ノット(航海)
旅客        640名?
車両        8.5mトラック142台 乗用車 55台
 
1998年ギリシャに売却、2014年退役

沖縄、14年振りの飛行機も

沖縄へ、14年ぶりの飛行機
泊(とまりん)港、離島航路の小型フェリーが密集
鹿児島や阪神航路等の中型フェリーは新港などから


午前8時の泊港、フェリーが相次いで入港、フォークリフトが忙しく行き来して、活気ある港の風景
ここは観光地と言うより生活航路、みな忙しい
ターミナルの2階はぐるっと広い回廊になっていて
散歩中の人の憩いの場になっている
そこからのスケッチ

正面の綺麗な船は久米島航路、中々垢抜けした外観をしてる。1200総トン、他よりも新しくしかも大きい。

沖縄本島は南北90キロ、極めて細長い形をしている。ややこしい海岸線の連続で出来ている。今までここの地理を真面目に調べたことが無い。米軍基地との関係等、分かっているようで分かってない。観光案内を見ても理解できない。
そんな自分の為に都合の良い地図を作ってみた。


観光地と米軍基地とが一緒に網羅されている地図が無い、と言うのと、やはり自分にとって極めて遠い存在としての沖縄、と言うことやろうか?

11月初旬、広島発着2泊三日の旅。二日目は那覇発の一日観光バスツアーで首里城から古宇利(こうり)島、そして美ら(ちゅら)水族館へ。
蒸し暑い。向うの人は皆半袖。

首里城 
3年前に焼失した正殿はすっぽりと工事中の建屋に覆われていた。2026年には修復工事が完了するとか。
ここに限らず沖縄の歴史文化は琉球王朝のものであり、大陸の影響を色濃く感じさせる。

古宇利島
エメラルドグリーンに囲まれた別天地、とでも形容しよう。何でか分からんけど、子供の頃何かで見たカプリ島をイメージした。


美ら水族館 先月、島根の水族館アクアスに行っていたのでどうかと思ったけど、そんなことはない、スケールが全く違う。さすが海洋博が残した財産、うまく活用したね、と思った。


以下、余談

実は24年前に仕事の永年勤続で得た休暇と少しの報奨金で行った事がある沖縄。
月日が経つ、歳を重ねる、価値観が変わる、そして今は旅先の歴史文化を見る事に。当時は唯、日本で極力遠い所へ行こう、なら沖縄、石垣、そして西表、と言う単純発想でしかなかったなあ。

余談2
帰りの夕方那覇空港、日に一便しかない広島行の飛行機が故障した。搭乗して、いざ出発と言うところでのアナウンス。結局修理できずに、機材変更となった。指定のゲートで他の機材に乗り換えとなった。
その変更となった機材とはなんと関空行のものやった。ほぼ同じ機種で座席もほぼ同じ、でも全く一緒とはいかず、3人掛けの席で、二人だったのが3人、となった可哀そうな人も居た。


元の関空行の客はどうなったかと言うと、以下推測。
関空便は同日中に他のフライトに振り分け可能、でも広島便は日に1便のみ。欠航になると宿泊代等、会社は損害が大きい。だから、、とまあそんなところか?
1時間半遅れのフライトとなった。そして1人食事代として500円ずつの支給があった。
LCCで無くて良かった!

沖縄、14年振りの飛行機も

沖縄へ、14年ぶりの飛行機
泊(とまりん)港、離島航路の小型フェリーが密集
鹿児島や阪神航路等の中型フェリーは新港などから


午前8時の泊港、フェリーが相次いで入港、フォークリフトが忙しく行き来して、活気ある港の風景
ここは観光地と言うより生活航路、みな忙しい
ターミナルの2階はぐるっと広い回廊になっていて
散歩中の人の憩いの場になっている
そこからのスケッチ

正面の綺麗な船は久米島航路、中々垢抜けした外観をしてる。1200総トン、他よりも新しくしかも大きい。

沖縄本島は南北90キロ、極めて細長い形をしている。ややこしい海岸線の連続で出来ている。今までここの地理を真面目に調べたことが無い。米軍基地との関係等、分かっているようで分かってない。観光案内を見ても理解できない。
そんな自分の為に都合の良い地図を作ってみた。


観光地と米軍基地とが一緒に網羅されている地図が無い、と言うのと、やはり自分にとって極めて遠い存在としての沖縄、と言うことやろうか?

11月初旬、広島発着2泊三日の旅。二日目は那覇発の一日観光バスツアーで首里城から古宇利(こうり)島、そして美ら(ちゅら)水族館へ。
蒸し暑い。向うの人は皆半袖。

首里城 
3年前に焼失した正殿はすっぽりと工事中の建屋に覆われていた。2026年には修復工事が完了するとか。
ここに限らず沖縄の歴史文化は琉球王朝のものであり、大陸の影響を色濃く感じさせる。

古宇利島
エメラルドグリーンに囲まれた別天地、とでも形容しよう。何でか分からんけど、子供の頃何かで見たカプリ島をイメージした。


美ら水族館 先月、島根の水族館アクアスに行っていたのでどうかと思ったけど、そんなことはない、スケールが全く違う。さすが海洋博が残した財産、うまく活用したね、と思った。


以下、余談

実は24年前に仕事の永年勤続で得た休暇と少しの報奨金で行った事がある沖縄。
月日が経つ、歳を重ねる、価値観が変わる、そして今は旅先の歴史文化を見る事に。当時は唯、日本で極力遠い所へ行こう、なら沖縄、石垣、そして西表、と言う単純発想でしかなかったなあ。

余談2
帰りの夕方那覇空港、日に一便しかない広島行の飛行機が故障した。搭乗して、いざ出発と言うところでのアナウンス。結局修理できずに、機材変更となった。指定のゲートで他の機材に乗り換えとなった。
その変更となった機材とはなんと関空行のものやった。ほぼ同じ機種で座席もほぼ同じ、でも全く一緒とはいかず、3人掛けの席で、二人だったのが3人、となった可哀そうな人も居た。


元の関空行の客はどうなったかと言うと、以下推測。
関空便は同日中に他のフライトに振り分け可能、でも広島便は日に1便のみ。欠航になると宿泊代等、会社は損害が大きい。だから、、とまあそんなところか?
1時間半遅れのフライトとなった。そして1人食事代として500円ずつの支給があった。
LCCで無くて良かった!

西条龍王山 その後

龍王山 久々の登山です
月曜日ではありましたが、沢山の登山者に出会いました。一人登山の方、ご夫婦、そして常連のグループ等、老若男女です。
長かったコロナ禍での自粛、そして自縛、今やそれらから解き放たれる時、皆さん色々と工夫されているのだと思います。僕も半径2キロの生活空間を拡大すべく、今朝は西条の龍王山に登った次第です。
登りは登山コース、下山は山頂から尾根に沿って車道を降りていきます。途中、2年前の崩落現場がそのまま残っています。2年前のブログで引用した上からのイメージ画を再度見てください。


f:id:zhongjpn:20200625180420j:image

2年近くたっても上側の崩落現場は当時と変わりません。

そこはおかげさまでと言うべきか、樹木がなぎ倒されていて視界が良いので、広島空港の滑走路と赤い誘導棟が崩落現場、すり鉢状に抉られた箇所の遥か東側、左手の彼方に見ることが出来ます。ちなみに、空港は海抜331メートルの高さにあり、写真は海抜約400メートルの地点で撮りましたので滑走路を少し見下ろす感じになっています。


f:id:zhongjpn:20200625180456j:image


今回の画像はピントが甘かったので、替りに昨年の11月に撮った画像を添付しておきます。

参考ですが、その他 八本松の曽場ケ城山頂上からも、この滑走路を見る事が出来ます。

 

〇2年前の豪雨災害、ここ龍王山一帯の憩いの森でも大規模な土砂崩れ、崩落が何カ所か発生し、広場などかなりの被害を受けました。昨年の11月に訪れたときは未だ復興の動きはありませんでした。
今回目にしたのは、崩落現場の下流域では巨大な重機が何台も入って作業をしていることです。


f:id:zhongjpn:20200625180529j:image

そして何カ所かの道路際は、既に補修が終わった所もありました。最終的にどのような姿になるのか、今は未だわかりませんが、恐らく災害の記憶として一部は残されるのだと思います。


f:id:zhongjpn:20200625180559j:image

下の多目的広場際から、崩落現場を真上に見上げた画像です。この現場、巨大なスロープです。ふとジグザグの巨大滑り台や、ミニロープウエイでも造ったら面白いかな、等ふと思いました。不謹慎でしょうか?


〇さて、そろそろ生活空間の半径を大きくしていきましょう。
最低限のコロナ対策、手洗いとマスク、これぐらいはしておきましょう。尤も今や習慣になってしまっているのでそんなに苦にはならないかも知れませんネ。


龍王山とは:
西条駅の北側に位置する海抜560メートル余りの山です。尤も西条駅そのものが海抜200メートル位あるので実質360メートル位になります。
この山は、日本3大銘醸地の一つとも言われている西条の酒蔵を支える仕込み水を供給している山でもあります。

コロナ日記③

2020年6月18日(木)
気がつけば自粛がいつの間にか自縛になってしまっている今日この頃です。
6月10日から予定されていた西条酒蔵てくてくガイドも結局延期になりましたし、、。


〇安倍のマスクは、6月2日にやっと到着。政府が4月初めに配布を決めた案件ですから、それから2か月を要してやっと東広島市の自宅に届いたことになります。随分と遠い所から来たんでしょう。取りあえず Keep です。
不思議なことに、それより前、コロナ支援金10万円は、5月26日に入金されました。こちらは決定から1か月位しか経ってないと思われます。でも、あちこちのニュースを見ていると、国民の大半には、未だ支給されていないそうで、少し申し訳ないような気がしています。

 

〇全国的にはコロナ禍は沈静化しています。特に関西、中四国では殆ど心配しなくてもいい様な状況にまで落ち着いて来ています。

思えば政府の4月7日の緊急事態宣言以来、自分自身県外には一度も出かけていないのです。 4月3日に山口県錦帯橋に行ったのが最後でした。18切符を使い切れなかったこと、未だに悔しい思いをしています。4月終わりからのGolden Week は、Stay home week とか、どこかの首長がおっしゃってましたしね。


〇6月19日から、全国への移動自粛が解除されます。大阪府では、関西域内からの宿泊客に対して、府の予算でホテル代の大幅割引キャンペーンが発表されました。一人当たり2500円の補助で、いらっしゃいキャンペーンと命名されています。
広島でも、中四国域対象にそんなキャンペーンが有れば是非利用したいと思います。 何か自治体がきっかけを与えてくれないと、中々自縛から抜け出せない人が多いのかも知れません。勿論、僕もそうです。きっかが欲しい!
ご近所にパチンコ好きのおじさんがいます。
最近行ってますか? と尋ねた所、殆ど行ってないよ、とのご返事。自粛以来1か月以上パチンコから離れていて、行くのが億劫になったと、それに行っても儲からないしね、と自嘲気味におっしゃってました。
色々な業界でそのような客離れが起きているとすると、中々経済は元通りにはならないでしょう。インバウンド需要に頼るなど論外ですし。
今まで、恐怖心をあおって来た国、今は逆に外出を積極的に鼓舞する時期に入っていると思いませんか。
コロナ第2波は来るでしょう。吉村知事が言う様に、ゼロリスクの対応はない、でも今までのこの4か月の経験の蓄積で必ず打破出来る、経済は回さないといけない、そうでないと失われる命が出てくる、これが現況だと思います。
大阪モデルでは、通天閣が緑の時は 積極的に出かけよう、但しコロナへの警戒を忘れずに、となっています。今回の宿泊費補助は、その一環でしょう。
今、国に頼ることなく、例えばこの中四国地方の自治体に於いても、各県が協力して、県民の自縛を解く方策が必要ではないでしょうか。そして今後は強力な広域自治が求められる、と思います。コロナ禍のおかげで、おおきな県境を越えた地方自治が実現するかも知れませんネ。

 

関西汽船の思い出そして終焉

まず最初に、今回のコロナ禍が全世界のクルーズ船業界に与えたダメージが一刻も早く克服されることを願っております!

 

自分の人生を顧みるに、船と言うものに何とも言えない魅力と発展性を見出したのは小学生の頃でした。海からは程遠い所で育った関係上、生活の中で船との出会いと言うものは全くありませんでした。あの頃は関連の書物も少なく僅かの雑誌でしか日本や世界の船を見る事が出来なかった時代です。
今回、大昔の写真を整理して、そのうちの何枚かをBLOGにしたためる事にしました。

 

〇原点となった関西汽船



f:id:zhongjpn:20200611185108j:image

画像は1959年に大阪天保山桟橋に停泊していた“こがね丸”。1800総トンの別府航路船です。
左手が桟橋の入り口、更に左の方には画像には入っていませんがロータリーが有って色々な店が有ったのを記憶しています。
姉妹船に にしき丸があり共に戦前に就航して、戦禍を生き延びた客船でした。
当時は、瀬戸内海の各港や四国高知航路等は関西汽船をメインとして、戦後1948年ごろに急造された1000総トンクラスの客船で結ばれていました。アメーバのように島から島へ、生活航路として配船されていた頃です。敗戦から僅か数年、食料不足で国民は飢えに苦しんでいた時代です。物資の輸送も兼ねてこれらの船が整備されたのは当然でしょう。その中で、メインは別府航路で、同時期の1948年には1900総トンの“るり丸“が就航しています。前述の2隻に加え、これら3隻が花形航路である阪神~別府に就航したのだと思います。他の航路船の倍近い大きさの船たちですね。

〇こがね丸の写真説明


f:id:zhongjpn:20200611143058j:image

f:id:zhongjpn:20200611143122j:image

桟橋からの画像です。船を間近から見たものです。 デッキの公室、客室の角窓、そして遊歩甲板。これらの窓を通して非常に未知の世界を感じ憧れました。別世界、と言うべき空間、これは今でも船を見るたびに思う事です。


f:id:zhongjpn:20200611143159j:image
後進で桟橋を離れて出港していく画像です。


f:id:zhongjpn:20200611143242j:image

方向転換をして、大阪港の出口に向かおうとしています。

 

〇にしき丸


f:id:zhongjpn:20200611185246j:image

前述の別府航路船の1隻です。入港して安治川河口に入り間もなく天保山桟橋へ到着、の画像です。
対岸は日立造船桜島工場。今はUSJになっていると思います。それにしても、至る所から黒煙がもうもうと立ち込めていて、当時の大阪はこんなだったんですよね!
尚、この安治川の上流は、市内中心部、中之島を貫き新淀川に合流しています。

 

〇むらさき丸の絵葉書


f:id:zhongjpn:20200611184702j:image
船は1960年に“くれない丸”の姉妹船として同年に就航しました。2900総トン、他の別府航路船と較べ1.5倍大きく、又速力も18ノットと3ノット以上程早くなっています。
それまでは夜行便でしたが高速化により、この2隻は朝7時に出港して、夜には目的地に着くと言う、今となっては考えられない終日瀬戸内海の多島美を満喫できる昼行便を実現したわけです。ハネムーン需要で絶大な人気を博したそうですよ。今で言う定期クルーズ船ですね。

 

〇天女丸1953年の絵ハガキが出てきました。

f:id:zhongjpn:20200611184729j:image
昭和28年のスタンプが押されていますから僕が6歳の時です。あの頃、既に瀬戸内海航路は大阪商船の内航船会社である関西汽船が台頭していたらしいです。この船、煙突のデザインは大阪商船のマークそっくりです。摂陽商船となっていますが関西汽船の傘下であったと言う記事がありました。
WEB検索でこの船の画像がかなり有りましたが同じスタンプの物は無かった様です。又、お客さんが沢山乗船されている、と言う画像も無かったように思います。


関西汽船の終焉
くれない丸 の3年後、3000トンクラスで改良型のすみれ丸、こはく丸の2隻がフルートに加わりました。 昼行2便体制が確立しました。そして1960年代終わりまでは関西汽船の絶頂期が続きます。年間の利用客は10年前の2倍にあたる150万人近くに達したと言うことです。

ところが1968年に阪九フェリーが神戸、小倉間に就航しました。関西汽船と較べ、大型化した船体、高速化、そしてトラック輸送等、新時代の需要を掘り起こし 既に始まっていたモータリゼーションと相まって急速に関西汽船のシェアーを奪って行ったのです。1970年までに阪九フェリーに続けとばかり、沢山のフェリー会社が設立され、新船が就航しました。

フェリー化の遅れで焦った関西汽船は、乗用車50台が搭載できる旅客フェリー2隻を1971年に投入。同時に長年親しまれていた天保山桟橋から、安治川の少し上流にあたる弁天埠頭に発着場を変えたのです。大阪環状線、地下鉄線の駅近くになります。
当時、一度訪れたことがありますが、辺りは倉庫ばかりで、食堂や商店街なども無く、寂しい、の一言に尽きる光景でした。フェリーに積み込む車両の駐車場確保の為移転したのだと思いますが、これら諸作が関西汽船の躓きの最初になったのだと僕は思っています。他に生きる道は無かったのでしょうか?

その後は、フェリー化の中に埋もれてしまいまい、観光客船のルーツは消えてしまいます。

1975年の山陽新幹線全通が更なるダメ押しとなりました。

今では フェリーサンフラワーと言う存続会社の中に僅かに昔の栄光をとどめている丈になりました。残念でなりません。

 

カリブ海クルーズとの面白い一致、不一致点
関西汽船の客船定期航路は、1970年代でフェリー化の波に飲み込まれて終焉を迎えました。ところで面白いことに同時期、欧米でもスケールと原因は違いますが同じような現象が顕在化していたのです。参考に書き添えておきます。

戦前戦後を通じ、イギリス、欧州と北米、ニューヨーク(NY)を結ぶ北大西洋航路、有名なイギリスのクイーンエリザベス/メリーの8万総トンを超える巨船を筆頭に、各国の花形客船が華やかに乱舞していました。


f:id:zhongjpn:20200611184809j:image

SSクイーンエリザベス 1957年の雑誌から引用

 

そんな定期客船航路も、遂に航空機との戦いに敗れ、行く末に暗雲が立ち込めたのが1960年代後半の事でした。
そこに一人のアメリカの実業家Arison氏が登場、ノルウェーの実業家に声を掛け会社を設立、7000総トンの小さな船一隻で始めたのが、カリブ海クルーズの夜明けとなったわけです。FUN SHIP (楽しい船)をキャッチフレーズに過去の豪華客船のイメージを払しょくする、一般国民が参加できる安価なクルーズサービスを提供し始め、アッと言う間にマイアミを世界的なクルーズ拠点に押し上げたのす。あれから実に半世紀が経ちました。今や世界的には安価なクルーズ船が主流となっています。日本でもお馴染みのスタークルーズやコスタクルーズ等。でも 未だに海外からの全ての大型クルーズ船を豪華客船と形容する国内のマスコミ、そして思い込んでいる日本。
何ででしょうか?
今、阪神、別府航路で、瀬戸内海の多島美を満喫できる昼行便はありません。年に何回か、そのような特別企画がある丈です。寂しい限りです。