寺社建築の組み物

寺社建築_組み物について
このテーマ、目的ははっきりとしていますがどれが標準かと問われると、何もないとしか言いようのない世界です。それぞれの寺社で同じ物は二つと無い、棟梁は見追う見まねで試行錯誤で造った、そんな気がします。

組み物の歴史は長く日本には隋の頃、朝鮮半島百済経由でもたらされたとか。飛鳥寺法隆寺等です。
遣唐使の頃には、中国から直接技術が持ち込まれ、奈良時代の大伽藍で使用されました。東大寺や、唐招提寺薬師寺名刹が数多くあります。
組物の目的は、巨大な重い屋根と、その大きな軒の張り出しを如何に支えるか、と言う事になるでしょう。
今回、作図に当たっては文献や、近くの寺社を参考にし、先ずそれらを頭の中で再構築してみました。でも実際に作図するとなると色々な疑問や矛盾が出てきました。添付図は自分が理解する為に作図した、とお考え下さい。

〇付図2の説明


f:id:zhongjpn:20191231101654j:image


付図2の方が分かりやすいので、そちらを先に引用します。下から上に、です。 付図1は特に説明しません。あしからずです。

1. 枠組みに属する柱、梁(桁)の上に組み物が乗ります。組み物のない建物の場合は、一番上の屋根組の垂木が直接ここに乗っかります。
2. A の範囲、斗(ます)、肘木(ひじき)、梁(はり)で構成される組み物です。この上に一番上の屋根組の垂木(たるき、点線表示)が乗っかると平三斗(ひらさんと)と言って軒へのでっぱりはありませんが、屋根の重さを分散させることが出来まる組み物となります。
3. その上に肘木が直角に交わり3個の斗の一つが軒に一つ出っ張ります。これを一手先、或は出三斗(でさんと)と言います。
4. その上に斗二つ分長くなった肘木が乗っかりその先に梁が横方向に合体し、斗が両側で一つずつ増えて五つになります。3よりも更に一つ軒が外に出ることになります。この状態を二手先と言います。
5. 2 と同じ事を繰り返してもう一つ積み上げると更に一つ軒が外に出ることになります。これを三手先と言います。
この図の場合、この上の肘木が屋根組の垂木(たるき)を直接支えることになりますので、形が少し異なります。柱を中心としてバランスをとっている訳ですが、最後の肘木は建物内部の柱にも臍(ほぞ)で固定され、全体として屋根組を支える事になる訳です。
〇付図2です。



f:id:zhongjpn:20191231101714j:image


組物は、外に見える部分丈でなく、それに準じた構造物が内部にも存在していることが理解する上で重要です。それによってバランスを保持しています。
寺社建築で、建物内部に入る機会が有れば是非上を見てください。天井が無ければ色々な組み物が見える筈です。
尚、何手先まであるか、ですが例えば東大寺大仏殿は六手先まであるそうです。但し、かなり構造は異なり、それぞれの肘木は斗の上では無く柱を貫通する貫構造となっています。

〇実際の例です。
近所の杉森神社本殿。


f:id:zhongjpn:20191229153017j:image

妻側に顕著な組み物が見られます。三手先ですが大部痛んでいます。


奈良、円成寺楼門です。見事な三手先の組み物です。友人からの画像を拝借しました。


f:id:zhongjpn:20191229153048j:image

建物の角は45度の方向にも肘木が伸びていて、かなり複雑な斗ですが基本は同じと思われます。

 

東大寺大仏殿です。鎌倉時代に再建された折、中国の最新技術による組み物が採用されたらしいです。
外観です。


f:id:zhongjpn:20191229153119j:image

その内部です。至る所に組み物が見られますネ。
f:id:zhongjpn:20191229153135j:image

尚、東広島市の本宮神社、福岡神社神社については前回の二重虹梁の項で紹介しましたので割愛しました。


〇寺社建築以外では、殆ど組み物は使用されていません。但し日本の場合は、です。朝鮮半島や中国では一般の家屋でもあるらしいです。
あのお城の天守閣でさえ組み物は見当たりません。
基本としては、土壁の建物には組み物の使用は無いみたいです。物理的に無理があると思われます。
何れにしても、現在の建築に新たに採用されることは無いでしょう。

 

今回の作図はことのほか難儀しました。

実際には FIG 1 と FIG2 とは一部構成内容が合致していません。図面を理解される方にはばれますネ