瀬戸内海、ある島の現実②

瀬戸内海、ある島の現実②
前回紹介した築90年前後の、そしてこの数十年間、住民が居なかった家屋の解体の続報です。
ある島の現実で、負の遺産として紹介しましたが、今回はパート②として、その後の経緯を辿ってみたいと思います。
先ず昨年秋の、解体作業前の敷地と建屋の形が分かる鳥瞰図を描いてみました。但し、樹木は省いてあります。


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南側の四脚門、土塀、そして風呂場等の解体は旧年中に終わり、巨大樹木の伐採も一部を除き終わりました。年が明けて今、何が進行中か、と言う事をレポートします。
現在の状況の鳥瞰図です。


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但し、庭には、運び出すのを待っている色々な木片や、ごみが、この様にびっしりと散乱していますが。


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本来、地域住民の方より、狭い路地に面した瓦屋根などの落下の危険性を指摘され、始めた解体作業です。対象は路地に面した土塀、風呂場と納屋に限定され、母屋はその内側にあったため、今回の解体作業の対象からは運よく外れていました。大きな納屋には過去の歴史の重みを感じさせる色々な物がびっしりと放置され、今までの作業のかなりはそれらの整理、撤去作業に費やされたと言ってもいいでしょう。後は、先日まで続けられた巨大樹木の伐採、それは衛星写真によると敷地の左下半分を覆っていました。


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スピード感はありませんが、今までの作業のおかげで、先の画像にもあるように現在は母屋の全貌を見ることが出来るようになりました。

ところで、この忘れられた母屋を何とか活用しよう、と言う前向きな発想が、我が友人とその子供さんによって昨年末提案されたようです。

“母屋”それは、総二階建てに近い大きな建物で、その後の調べで大屋根を含めほぼ無傷であることが分かったのです。
問題は一階の床、梁などの床材はボロボロで、床板、畳は使い物にならない、でも、2階については入母屋の大屋根やそれを支える垂木を含め、ほぼ無傷であることが幸いしました。

それにより、今年の我が友人の計画が一部変わりました。
納屋の解体は当初の計画通り行いますが、母屋には人が何とか入れるようにしよう、と言う前向きな目的を加えたのです。解体、と言うマイナスイメージ丈だった作業に、少し光が差し込んだ、と言う感じでしょうか。

この、ある島、では昨今はやりの民泊を奨励しています。
若しかすると民泊でも、と言う期待を著者は持ったのですが、ご本人は、 「いいや、其処までは考えてないですよ。せめて知り合いがこの島に来た時に、座敷で一杯酒でも飲める場所にしたい、その程度の考えです」とおっしゃっていました。

具体的に今その解体現場?で何をしているかに言及しておきましょう。
1階の梁を含む床材の入れ替え作業です。既に畳は運び出しました。床を支える梁材の手配、ジャッキアップ用部材の設置、コンパネの手配、設置などです。
一階の左側の状況です。一番奥の部屋には、既にコンパネが置かれています。



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一階の外への引き戸は、ところどころガラスが割れていて、今は獣たちが出入りしているようなので、彼らが入らないように穴を塞ぐ作業、そして次に畳(既に昔の在庫が一部あり)を敷く作業となるそうです。
少し希望の持てる未来が僅かではありますが見えてきたように思えます。

尤も難題は後回しにしているきらいもあります。肝心の納屋の解体です。それの具体的な日程、方法は今の所、明確になっていません。年内には何とか決着したい、とは聞いておりますが。
何れにせよ、ここまでくれば乗り掛かった舟、最後まで我が友人の果敢な挑戦をアシストしたいと考えています。