西条酒蔵ボランティアガイドの夏

英語ボランティアガイド2023
2023年8月初旬の暑い暑い日の事
茹だる暑さの中で結構きつい、おまけに一番暑い時間帯なんですな!
午後2時前 西条駅観光案内所へ、 今日はどこの国のお客さんかな、変な外人やったらいややなあ! いろいろと思いを巡らせながら。
でも、とにかくお客さんが予定通り来てくれないのが一番残念なこと。
前回も当日キャンセルになったしなあ、、。
狭い案内所の中に大きな大人二人と子供のシルエット、既に来訪済と直感。先ずは良かった!
中年ご夫婦と高校生くらいの娘さん
今回もアメリカからと思ってたけど、聞いたら意外にもENGLANDからとのこと。 普通イギリスはUK と言う筈やのになのに何で?と思ったけど歴史が絡んでややこしくなっても、と思い聞くのを自重。
さて挨拶をしないといけない、自己紹介。これ結構難しい。日本人でも難しいのに。酒や、日本の歴史の知識、漢字や趣味、広島の知識、そして後の予定、何時日本に来たかなど 一応は聞いておく。後のガイドの時に役に立つ。
さて、このガイド本人さん、英語のブランクが長いのと、新たに学んだ酒蔵の歴史、プロセスなどの関係用語が実際に通用するのかなあ、と不安いっぱいで始めた英語ガイド。やってみなはれ!と背中を押され、折りしもインバウンド需要が急回復して外人客が急増したこの春より、ピンチヒッターとして登場した。

英語の基本的な発音が間違っていて通じないことはよくある。
赤レンガの煙突の煙突、chimney の発音は前回チムニーで通じず、今回は 嬉しいことにチッミーで通じた。
又、難しい発音がすんなりいくとこれは嬉しい。
醪(もろみ)の抽出のあとの工程、低温殺菌処理、pasturilization は上手く言えた。
日本語ガイドでも同じやけど、質問にタイムリーに答えられたときは一番嬉しい! 

〇亀齢酒造の蔵の前で 軒下の杉玉を見て、あれは何です? と聞かれたので、作り方の説明をしたら、続いて REASON も求められた。奈良の大神神社との関わりなどかなり時間を掛けた。明日から関西方面に移動するとかで、もしかしたら関連つけて思い出してくれたらいいなあ、、と思いながら。

欧米からの英語圏の外人さんとひと括りに言っても、日本人と比べその差は極端に大きい。酒蔵全般で漢字はまず分かってもらえないのはしんどいし。又、歴史も 江戸時代 EDO ERA等、ある程度勉強している方もいれば、その逆の人もいる、まあ居ないと思った方がいい。
それにこちらの英語のレベルにも大きな疑問符が付くしな、、!
とは言っても、何とか西条の酒蔵をガイド出来るかな、という自負心は芽生えたかな。何となくやけど。
今回の反省点を整理してManualを改善し、又次回に備えなあかん!

〇この春より英語圏の個人旅行の派遣ボランティアガイドを5回引き受けたけど、2回も当日キャンセルになった。全て同じツアー会社。
それで、この会社からの依頼はしばらく止めとこか、と言う動きもあるとか。
とすると、ピンチヒッターの英語ガイドは今回が最後になるかも。

 

瀬戸内海縦断、新門司港から神戸へ

広島から下関/門司経由、そしてフェリーで関西へ

我ながらかなり特異なルートとなっています。
目的は阪九フェリーでの瀬戸内海縦断の旅、それと既にブログで公開している奈良へのたびです。

先ずは門司港から


さて、下関からの船ですが、JR駅から少し離れた唐戸港から出ます。
直線で約1.8キロ程の関門海峡、広島で言えば宮島フェリーとほぼ同じ距離になる。幸運と言うか港に着いた時直ぐに出る巌流島行きの船があったので飛び乗った。
時間は余裕たっぷり、昼食前やったけど、何とかなると思って。
途中、波は厳しい上に船が小さいので揺れに揺れた。19メートルの高速船ですからね


巌流島、何もない、のが魅力と言えばそうかも。今はそんな観光地がグローバルに喜ばれる傾向にある。インバウンドさんの好むそんな同調圧力が日本の旅行者心理にもいい影響を与えていると思うとうれしい。が、個人的にはこの場合、何もないと言う事は、勿論食事の場所も、売店もないと言う事で昼食にありつけなかった。腹へったー!
最初の絵に戻るけど門司港スケッチは港の岸壁から関門海峡大橋を。あの向うには瀬戸内海とそして豊後水道へと海が広がる。

街並みは思った以上に素晴らしい。狭い範囲に駅舎等結構見事な建物があり、正直びっくりした。駅から至近距離にある堂々とした石造りの建物、今は無き大阪商船の門司支店ビルもここでは脈々と外観はほぼ当時のまま生きている。元関西人としては寂しいね。
その他、新しい店が古い建物に同居しているのも今時の観光地の傾向、これも素晴らしいことと思う。

この後、門司港をあとにして北九州市の巨大なフェリーターミナルに成長した新門司港へ。阪九フェリーのせっつに乗船して神戸に向かう。


次の目的地は奈良!

フェリー考
瀬戸内海を日中、東西に縦断するフェリーは現在ありません。皆、夜行便です。フェリー会社の収入源は、トラック、乗用者と言った車両に依存していて、旅客はその意味で付録みたいな物。これはビジネスの社会で利潤を追求するのは当然で、どんどん大型化しているのは車両積載数を増やすため。船内は昔よりも格段に贅沢になってきていて、それは徒歩乗船客には嬉しいことではありますが。それゆえ、四国経由の船は無くなり、他社、他港も含め全部九州から関西直通の夜行便丈になりました。添付画像にも見られるように新しいフエリーの窓はどんどん大きくなり客室は個室化し、公室は特に大きな窓で囲われていて、食堂や大浴場、それに露天風呂等、夜行便にはもったいない設備ばかりです。昼行便で瀬戸内海の景色を眺めたいと願うのは自分丈でしょうか?
万博までに、そんな航路の出現を期待したいものです。
    

奈良へ

飛鳥へ
先日の奈良に続いて、今日は近鉄特急で橿原神宮駅へ。
飛鳥にやってきました。石舞台です。

修学旅行の生徒たち、大阪や関東等、各地からの観光バスが広い石舞台古墳駐車場に待機している。此処での主役は他国の人ではなく日本人、そしてその多くは小中学生。
60年以上も前の自分自身の姿を重ね合わせる。全く記憶は飛んでしまってるけど、小学校の時には必ず一度は来ている筈のこの地。懐かしさよりもあの頃の貧しかった我が境遇を思い出してしまう。スケッチをしながらそんな事を考えていた。
今回の訪問はいわば自分にとっては漢字を変えて終学旅行と言えない事もない。
今は情報があふれている時代、事前の調べで遺跡の歴史などは分かっている。とは言え、実際の空気に触れると言う事はやはり違う。神社仏閣に参拝するのとは違う。

 

1日目は奈良、興福寺と奈良へ

2日目は飛鳥へ


一つ不思議に思ったことがある。調べたらわかる事やけど、調べない、素朴な疑問はそのままでいい場合もあるから。それは文字。7世紀後半の遺跡である飛鳥には、石舞台、亀石、高松塚古墳壁画等、当時書かれた文字を見なかった。この世紀はと言えば6世紀後半からの百済との貿易や遣隋使によって文字は伝来、存在している筈であり、実際7世紀でも645年の大化の改新では17か条の憲法が文字になっていますよね。
前の日に訪れた奈良の興福寺東大寺では、至る所、漢字が氾濫していたのと大きな違い。1世紀の違いとはこんなに大きなものなのか、と思ってしまった。
もっとも、そのおかげで詳しいことが分からず現代人にとって大きなミステリーとして残り、はるか彼方にある古代ロマンの世界へと誘っている訳ですが。
今回、奈良時代飛鳥時代と言う二つの時代を巡っておもい知った事、日本の黎明期について沢山学びました。小中学生諸君には負けずに勉強してきましたよ。

西条酒蔵 DRONE EYEs MAP

西条酒蔵鳥瞰図 DRONE EYE MAP
酒蔵ガイドをさせていただいて6年、とは言え中々その具体的な蔵の大きさや広がりが分からなかった。
それで、この度2回程足を運んで実地調査を実施。
通常、駅の東側6か所が標準的な案内する蔵ですが、約1時間半の時間で案内できるのは表通りが主、酒蔵通りと言う道路に面した蔵がとなってしまう。
一歩路地を入ると、頭の中では分かっていても、地図に照らし合わしたら全く合わない、各酒蔵の奥への広がり、つじつまが合わない、とのジレンマに。おまけに各蔵の会社の境界が複雑に入り組んでいて、いくらそれが観光の資源とは言え、悩ましい。
ガイドさんの個人差はあるけど、自分の解釈を書くとすると、ですね、次のようになります。

一般的には酒蔵通り、と称するは西国街道。車の往来の激しい道でガイドが一番お客さんの安全に気を遣うところ。白牡丹、西条鶴、きれい、賀茂泉、そして酒蔵通観光案内所がある。

他方、駅から降りて最初に立ち止まるのは、最初の路地の入口、交番の際で、掲示板が立っていて各酒蔵への地図が描いてある。


この路地を入ると、白牡丹延宝蔵、賀茂鶴関係の蔵や本陣、福美人に至る、車も少ない散策路としては良い環境にあり。
この通り、酒蔵通り北 と取りあえず呼ぶとした。そして鳥瞰図を作ってみた。広がり、地形が分かるように。
今様で言うと、DRONE_EYEs です。
この二つの酒蔵通りの線上にあるのが6か所の酒蔵で正しいんですけど。でも地図上の各蔵の南北への広がり、周辺のインフラとの関係が自分自身把握できなくて作ったのがこの鳥瞰図になります。随分と自己啓発に貢献。

唯、12基の煙突がやや不鮮明であったのと、ペン先が太すぎて坂道の表現等詳細が描き切れなかったこと、今後の課題として再描画したいと思っています。少し大変ですけどね。

酒蔵通りを訪れる際には、表通りの線に沿って丈ではなく一歩奥に足を運んでください。更なる発見があるかも。

安芸津の桜、言わずもがな です

東広島市 安芸津町 正福寺、安芸津港を望む高台にあり中腹から山頂にかけて見事な桜の絨毯が山肌を染めます。
3月終わりの正福寺公園。
お寺は、海抜ほぼゼロの港から石段を上がって、公園へと続く登り道の途中にあり。
絵を描いたところのこじんまりとした鐘楼は、更に少し上の小さな断崖絶壁の上に張り出すように建っています。

満開の桜、春うららの瀬戸内海に面した正福寺公園。お寺の入口は麓のJR呉線の踏切近くにあります。
他方、山の裏側からの道路でたどり着く駐車場は中腹より少し上辺りでしょうかね。
結構急な山なのでそこに車を止めた人は、下まで降りてお寺まで行くのはしんどいので敬遠する人も。でも、逆に安芸津駅方面から歩いて階段を登ってくる人も居るみたいで、人の行動は千差万別、十人十色です。
以下、何枚かの画像を添付します。背景は、春らしく淡いピンクで。

 

 

 

 

 

Mini Trip 宮島 & 宮浜温泉

宮島と宮浜温泉
広島県旅行割と廿日市市のペイペイ祭りを利用して行ってきました。
〇宮島遠望

途中、廿日市市山陽道宮島SAに立ち寄りました。ここで休憩とスケッチ。宮島の対岸にあるサービスエリアです。宮島全体がほぼ見渡せる絶景ポイント、但し同じ宮島SAとは言っても大阪方面のSAは山側なので見る事が出来ない。こちらだけ、海側丈の特典なんです。
あちこちに貼られたペイペイ祭りのポスターを確認しながらの小さな旅の出発点となりました。

雨の後で強風、大野瀬戸の海は白波が立っている。潮は右から左へ、風も同方向、多分潮も風の影響を受けていたのかも。
沖合の牡蠣の筏が皆左方向に流されている。

〇宮浜温泉

翌早朝のホテル最上階3階、これぞ露天風呂と言う露天風呂、遮るもの一切なし。
垂れ流しの源泉は海の方向に常に流れ出しているのでこの様に海との境目が見えない。海側の縁石が一段低くなっていて、何時も湯が滝となっている。
端に立って下を覗くと鉄道が真下に、又それに並行して海岸線に沿って国道が通っている。

大浴場は1階にあり、そこから外に出て階段を一気に登る。
未だ2月、それも朝の7時、寒い。何が何でも、と思うと勇気が出ると言うか、無謀と言うか、とにかく寒い。下の大浴場で十分身体を温めて、そして冷たい階段を身震いしながら上がって行く。
その甲斐が有ってこれぞ露天風呂、と言う風呂に入れた。

もう一つの露天風呂は地下一階にあり。
地下とは言っても山肌のホテルなので、前述の鉄道の少し上、小窓から少し見下ろすと通過する電車の屋根が見えると言う、これもまあ珍しい絶景と言えるかもしれません。こちらは流石に遮るものがあり。
尚、各大浴場と露天風呂は二カ所ずつ、男女毎日夜中に入れ替わります。特に上の露天風呂は身を乗り出さないでください、との注意書きがありました。

〇このホテル、古い建屋で外観などは最近のホテルと較べ見劣りしますが、中はしっかりとUPDATEされています。そして安め。

一階ロビー、小さいけど小奇麗な造り、大昔の塾ボックスと、名物の巨大なけん玉が。天地一杯の窓の向こう、坪庭と海、駐車場が邪魔をしてるけど。

宮島からの日昇です。

⚪ホテルでもらったパンフ

付近の散策マップです。山側30分程登ると 残念社 と言う興味わく名前の神社有り。昔、長州戦争で味方に誤って撃たれ亡くなった可哀想な武将が祀られているそう。行こうと思ったが、寒いので止めた。又今度。wishing to visit with a little chance!

 

 
 
 
 
 
 
 

 

白市探訪 ボランティアガイド研修

東広島市白市 2月中半 
歩いて30分程の所に古い古い町並みが保存されている白市と言う町があります。広い無料の駐車場が南にあり、其処から逆三角形の形で上に広がっています。駐車場から北へ250メートル程の広がりがあり、でもそこは完全な迷路でした。

最後の旧木原邸では見学している間にメンバーから取り残され、そして駐車場への帰り方が分からなくなって。無残にも案内された方に聞く羽目になった次第で、とにかく迷路でした。自分丈の問題かもしれませんが。

そんな次第で帰宅後、今日巡った経路や場所を理論的に結び付けようとしても中々うまくいかない。
Google_map/street_viewや写真などにらめっこしながら鳥瞰図を自分で描いてみました。苦労の挙句やっと頭の中が整理できた、とまあ、そんな感じの脳トレを兼ねた有意義なボランテア研修会でした。
画にしてみると、右下の白山を焦点として上に広がっていく逆三角形の町となっています。又名所旧跡はどっちかと言うと北の方に集まっていると言うのが分かりますネ。

その鳥瞰図、うまく出来たと思ったものが、それでも後で伊原八郎邸と伊原惣十郎邸の位置が南北逆になっていたのを発見。描きなおす気力なしでした。
作図は主に当日訪れた場所のみとなっています。

その他の名所旧跡については東広島市観光情報サイトの白市探訪MAPも併せてご覧ください。添付してます。
尚そこでは左側の県道が未だ建設中となってますが、既に6,7年前?に完成しています。今は新しい立派な道が開通したことにより、町中を通過する車は殆どなくなり、歩いての探訪は随分と安全、そしてラクチンになりました。


以下、当日の参考画像です。南から順に北へ上がって行きます。

 

最後に白市についての感想です。
白山(MAP右下)に築城した平賀氏の分家である木原保満氏がキーパーソンかな。関が原で負けた西方に属していた平賀氏の後を受けて江戸時代から盟主となった木原一族さん。酒造、両替、塩田、等幅広く手がけて成功し財を成したらしい。町内に多くの石造物を寄進している。
南東の白山には、戦国時代平賀氏の山城が築かれていたらしい。
探索も旧木原家がキーになる。入館料150円ですが、邸内は博物館の様でもあり、又休憩場所、トイレ等も完備。案内の方がいるので情報も入りやすいし。
入場料ですけど、後期高齢者は無料と言うのもうれしいですね。

スタートとなる駐車場も思ったより広かった。欲を言えば、あそこに休憩用のベンチとトイレが有ったらなあと。

今回の白市考、この年になって今頃なにを、とも思いました。近くに住んで40年以上たって初めてとは。でも見るところいっぱいあった白市。

他にも近くでこんなとこあるかも知れないなあ?
ボランテアガイドの研修に感謝です。幹事の方、有難うございました。