コロナ日記②

コロナ日記② 2020年5月15日(金)
通天閣 緑の色に 目頭おさえ


〇何で、でしょうか。今月、コロナの大阪府出口戦略が大阪モデルとして吉村知事から発表され、この15日、数値目標達成のシンボルとして通天閣の明かりが黄色から緑に変わりました。 その光景はネットでもテレビでも大きく報道されました。その時、僕に生じた異変です。
何で でしょうか、急に鼻がずるずるしてきて、涙が出てくるのを止めることが出来ませんでした。


僕は南大阪の貧しい家庭で27まで過ごしました。子供の頃、年に何度か母親に連れられて弟と3人、南海電車で難波球場に行ったり、又天下茶屋から乗り換えて阿倍野からは近鉄で、当時羽曳野の病院に入院していた父を見舞ったりの生活でした。途中、必ず見えたのが通天閣。でもあの頃は別世界の塔でした。母からは“あの辺りは怖いとこやから行ったらあかんで” と何度も何度も言われ子供心にそれが焼き付いていました。
だから通天閣には別に良い思い出がある訳ではありません。むしろトラウマになっていたと言うべきでしょう。


高校のころから天王寺公園や動物園そして美術館には足を運ぶことはありましたが、だからと言って通天閣にはあの頃登った記憶が無いんです。あの辺りは怖い所、との思いが気持ちに中に刻み込まれていたんでしょうね。


東広島にきて早や39年が経過しました。でも子供のころから常に好むと好まざるとに関係なく見ていた通天閣への思いは、潜在的にこの脳裏の片隅に留まっていたのだと思います。ノスタルジアと言うんでしょうか。
今でも弟を含め大阪の友人は殆どが南大阪の住人です。彼らも僕と同じ思いで通天閣を見ているのでしょうか。僕は遠くに居るのでイメージでしかわかりませんが。


この9月には大阪の堺東で旧友達との新年会が予定されています。4月の予定が中止になったからです。こんな遅い新年会て、初めてやなあ、と笑って酒を飲みかわしたい!


〇思えば、広島(中四国)の感染者は、2月半ばの大阪での複数のライブハウスでのクラスターが発端ではなかったかと、僕は思っています。あの時、大阪府がライブハウスの店名を公表したことが、今中四国で感染者が比較的低く抑えられている遠因であると考えています。感染源の特定が出来た訳ですから。
でも残念ながらその後も、中四国、この東広島を含め、かなりの感染者が大阪方面と関わりのある人で占められていました。
前回のブログでも一部記述しましたが東広島市では4月16日に大阪から帰省した方、21日には山陽道下りの小谷SAで働く方が各1名発症され当地には激震が走りました、でも、その後関連での発症は無く本当に良かった、と安堵しています。尤も今後どうなるか、は神のみぞ知る、と言う世界ですがね。緊張感を持続して自己防御していく、それに尽きると思います。勿論、他の人に感染させない と言う配慮がそれ以上に重要であることは当然の事ですが。


〇西条の酒蔵ボランティアガイドは6月10日から再始動です。今のところは、ですが。