氷川丸、昭和35年神戸港

 

 

氷川丸、最後の航海へ 
昭和35年10月15日、神戸港 第4突堤にて
小さなカメラで収めた最後の航海に出港する寸前の氷川丸です。
当時僕は中学生でしたが、船の友の会の計らいで友人とともに神戸で見学する機会を得ることが出来ました。岸壁の風景は少しわびしく思われました。でも今の基準では僅か1万4千トンの、しかも貨客船ではありましたが、船内の光景は素晴らしいものでした。あの頃の貧しい日本の状況から鑑みて、ゆったりとしたチーク材で覆われた遊歩甲板の見学、及びその中のラウンジなどの一等旅客用の公室は極めて刺激でした。
今思えば、西欧の客船のラウンジソファーなどと較べ、日本人の体格に合わせ、少し小ぶりであったような印象があります。

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この第4突堤は当時から客船の入港する場所であったようです。
小さなカメラで、フィルムは35ミリではなく、僅か10ミリ程度のもので勿論白黒でしたが、よく撮れたと思います。

偶然ですが、写真中にモンペ姿の女性や、和服の女性が写っていました。今は昔ですネ。
右手の学生服の男性は一緒に行った仲間だと思います。
その時、乗船記念として日本郵船の乗船案内の小冊子を頂きました。お宝として今でも大事に持っています。

 


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これは全体としては、氷川丸専用ではなく一般用です。尤も中ほどに閉じられたの写真のページでは全て白黒で、氷川丸のものでしたが。
当時は、遠洋航路の貨物船の場合12名の客室(6キャビン)が設けられており、それを想定した乗船案内となっていると思われます。
あの頃の神戸港は輝いていました。沖合を見ると水平線が見えないくらいびっしりと沖がかりの船で覆われていましたよ。
本当に懐かしい写真です。
尚、この昭和35年10月15日と言う日付が正しいかどうかは少し疑問があります。未だ中学生の記述でしたので、あしからず。